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桓宗(かんそう)は、西夏の第6代皇帝。仁宗の長男。 == 生涯 == 天慶7年(1200年)に母の羅太后が病に罹ると、金から医師を呼んで薬を処方させた。 天慶12年(1205年)に西夏は初めて〔C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』1巻(佐口透 訳注)、83頁〕チンギス・ハーン率いるモンゴル軍の侵入を受ける。モンゴル軍の包囲を受けた力吉裏(エリンリキ)の城砦は陥落し、経落思(ケレンクルシ)城は略奪され、住民とラクダがモンゴル軍に奪われた〔C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』1巻(佐口透 訳注)、85頁〕。翌応天元年(1206年)に羅太后と甥の李安全を中心とする一派によって帝位を廃され〔「七月、使純佑母羅氏為表、言純佑不能嗣守、与大臣定議立安全為王、遣使奏告。」、『金史』巻134、列伝72、外国上〕、配所で没した〔「泰和六年三月、仁孝弟仁友子安全、廃純佑自立、再閱月死於廃所。」、『金史』巻134、列伝72、外国上〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桓宗 (西夏)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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